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■■ 7.13 新潟水害ボランティアレポート 2004.7.20〜24 ■■
◆祈るのが本分だろ……


 最初のニュースを見た時、「これは、大変なことが起こっている。何か出来ることはないだろうか、一日でも力になってあげたい。しかし、大阪からは遠いし、時間もない……無理かな」と私の神心と人間心が行き来しておりました。日が経つにつれて、被害後の片付け作業のすごさが放映、ボランティアの数が足りないと報道されるなど、ますます、自分のやるせなさで一杯でした。

 そのような中、教会での定時の御祈念の時に、「初代先生は新潟の地に生を受けられ……」という初代押木領七先生の霊前拝詞の言葉に、初代先生の生まれたお土地……、すぐ身近にこの災害は起こっているじゃないかという思いになりました。居ても立ってもいられない気持ちと、自分は金光教教師で、「祈るのが本分だろ……」という狭間の中で、教会長先生のお取次を頂くと「一刻でも早く行きなさい。こちらのことは何とかなるから」とのお言葉を頂きスーッと腹が決まりました。現地へは電車も考えられますが、車の機動力を生かしたいと思い、早速、兄である四條畷教会の車をお借りして、準備を調えていきました。一人で運転して大丈夫かなという思いもありましたが、いつも金光〜大阪間を走っている、その倍ぐらいの距離ですので、往復ぐらいと思い、行けると確信しました。

 青年教師へもメーリングリスト(メールでの繋がっているグループ)で連絡、「もし、行ける人があれば」と声を掛けましたが、急な連絡とあって、私一人だけでしたが、大阪から、東京から、九州から「せめて奉仕成就を御祈念させて頂きます」というメールが相次ぎ届き、皆が祈りを加えてくれていると思いました。また、出発時、信者さんからも「私もガラス拭きでもさせて頂きたいです」と居てもたってもおられないこの気持ちを話され、今回の災害を大変なことと受け止めさせて頂いたのは、私だけではないのだとも思わせて頂き、祈りを受けて代表で奉仕させて頂こうと、心強く出発させて頂きました。

 現地の燕教会の原野先生がこの知らせを受けて、燕教会を基点に奉仕させて頂きました。当初は、車で宿泊するつもりで布団を積み込み、準備をしていましたが、思ってもいないご厚意を受けて、「神様は、見守っておられるなあ」とも実感させて頂きました。ありがたいことでした。

 教会に着き、現地の状況、現地の新聞、報道など見させて頂くと、大阪では伝わっていない事ばかりで、ビックリしました。地方になると情報が入って来ないのだなと思いました。この度の水害で、新潟県内の教会は、何処も被害は出ていないということで、少し安心しましたが、信者さんのお宅では、二、三被害を受けられたということをお聞きしました。信者さん宅のお手伝いをと思いましたが、そこでは、すでに復旧されていましたので、三条市のボランティアセンターでの奉仕をさせて頂くことになりました。

◆おばあさんの話し相手も重要なボランティア


 作業の第一日目は、三条市(五十嵐川流域)の現場に入りました。被災されてから一週間経ってましたが、お年寄りや若い力が無い家々では、まだまだの状態。ボランティアセンターに到着して、思ったことは、約千人からくるボランティアをとりまとめ、被災者宅へ配分よく届け、作業できるということが、スムーズに行われたことにまず、ビックリしました。後で、聞くと、全部ボランティアの方がコーディネート(ボランティアのとりまとめ)していたそうです。

 私の奉仕したお家は、小さな町工場、製鉄所を営むお家でした。タオルでねじり鉢巻きした、七十過ぎのお婆さんが出てきました。息子達は、休日のみの奉仕でとりあえずは家財の運び出しなどやってくれたのだが……、仕事場の製鉄所内は手つかずのまま、隣、近所はの玄関は一週間も経てば、きれいになっているのに、この製鉄所の玄関はまだ、泥の海。お婆さんもどうすることも出来ないで、どこへ連絡してええのやら、分からない状態であったのを、隣近所が見かねて、ボランティアセンターに連絡、派遣となったようである。

 派遣の書類の中で、奉仕内容が、家の泥出し、製鉄所内の不要物撤去、おばあさんの話し相手。ということで、男三人、女一人の募集でした。奉仕が四時までなので、お婆さんとその時の状況を語ってもらいながら、汗と泥まみれ、おまけにここでは、油まみれとなっての作業でした。一つ一つの物が鉄の固まりですので、重たかったです。

 奉仕を終えてお婆さんが、「本当にありがとうございました。ボランティアの人ってここまでやってくれるの」としきりに感心しておられ、こちらも勢一杯の奉仕が元気を与え、心から喜んでおられるお顔をみるとうれしくなりました。

◆ここに住んでいる者がしていかなければ……


 第二日目は、中之島町(刈谷田川決壊現場付近)での作業となりました。燕教会のご信者さんと一緒に奉仕させて頂きました。昨日の三条市の状況とはまた違い、一段と、災害のものすごさを感じる場所でありました。

 築六年のきれいなお家が、奉仕の場所でした。家の中では、泥出しが終わり、大工さんが入って割と復旧がはかどっているように思いました。しかし、その家の周りの道路、側溝には、泥で溢れており、排水がままならない状態。それを掻きだして、土嚢袋に詰めていく作業です。炎天下ですから大変です。熱中症にならぬように、水分補給をしっかりして作業に望みました。

 お昼休みに、決壊現場のすぐそばのお家でしたので、その堤防上の決壊現場にも行かせてもらいました。すさまじいとしか言いようがない。当時ここまで、水が溢れて、その勢いのまま水が押し寄せて、家々を飲み込んで行ったのかと思うと、住んでいる人、怖かったやろうなと思わさせて頂きました。堤防すぐ側のお寺がある場所にお寺が跡形も無くなっており、墓石が散乱状態でありました。

 築六年の家のご主人が言われるには、お寺の流木が流れて、家の窓ガラスが割れ、そこから水が浸入してきたとのことでした。周りの車も悲惨な状態で、水の破壊力の怖さを見せつけられました。

 奉仕を終えて、帰る道中に、信者さんの知り合いの家々を巡り、立ち話の中、「ほんとに、ボランティアの人達には助かりました。しかし、これからの復旧が家族力を合わせてやっていかねばなりません。細やかな所は、ここに住んでいる者がしていかなければ……」と申された言葉が印象的でした。傍らの倉庫には、疲れて横たわるご主人の姿がありました。

◆「仏教ですか」とか、「山岳信仰ですか」


 第三日目も続いて中之島町へ奉仕のおかげ頂きました。この日は、一人での奉仕で参加しました。四時までの奉仕が終わってすぐに帰阪を予定しておりました。燕教会の先生からも「あまり無理をされませんように」とご心配をお掛けして、「ゆくっりされたら」と申されましたが、一日、二日の奉仕の中で、「金光教の教師です」と話すと、皆、全然知らなくて、「仏教ですか」とか、「山岳信仰ですか」とガック……とくるような言葉ばかり耳にしておりましたので、三日目で、一人でも触れ合う人に、「金光教」の名前だけでも……という思いもありました。

 この日は、家の泥出しがほぼ終わり、砂を搬入、また庭、側溝の泥出しということでした。水が押し寄せて、身の丈ほど水かさが増したということ、その水が引いた後、残った泥は、床下に六〇センチほどつもり、それを取り除かないと悪臭カビが生えるので撤去、砂の搬入、石灰まきと……ザッと復旧の段取りです。泥を土嚢袋に入れるにもバケツを使って上手に入れて行きます。

 世間では夏休みも入り、学生さんたちも多く参加されてました。今度も力仕事にあたり、私がグループ最年長でしたので、班長になり、書類を渡され、皆を段取りよく配置することができました。二日間でも経験することはすごいものだなと思いました。

 奉仕作業を終えて、被災された方は、これから大変な苦労があると思いますが、ボランティアの方が、世代を越えて、皆、役に立たせてもらおう、一日でも、ちょっとでもと、善意の力を発揮する、駆けつける働きはすごいなと、改めて、皆、神心を頂いてる私たちなんや。私のいのちところでそのことを感じさせてもらった思いがしました。

 東京から来た学生さんが、兵庫県出身の方で、「十時間かけて普通電車できました。今日で六日目で、さすがに肉体的に限界で、お邪魔になってきたので、そろそろ帰ります」と。ありがたいなと思わせて頂きました。この方は金光を知っておられ、少しホッとしました。

◆金光大神というご縁があるからこそ


 今回の奉仕で色々なことを見させて頂きました。目で見えることもですが、目に見えない神様の働きというものも感じさせて頂き、被災者の手助けに行ってるんですけど、実際は私も大変なおかげを頂いているなと思っております。特に、大阪と新潟では五百キロ以上離れており、日が経つに連れて情報が入らなくなり、災害のことなど忘れてしまいます。これが事実、現実です。しかし、「金光大神の信心をもって奉仕させて頂きたい」という思いをもって行くことにより、また、そこから情報を発信することで、金光大神というご縁があるからこそ一回でも、二回でも祈りができ、災害復旧に対して意識が生まれたことも有り難い一つです。

 初日に一緒に奉仕した人は、災害のメーリングリストに登録していて、常に友人から、「『今、こんな状況です。人手が足りない』など随時携帯のメールに入ってきて、一日だけの奉仕ですが、都合付けてきました」と言って参加されたそうです。

 災害は、時々刻々に状況は変わっていきます。被災者のニーズに合った救済を奉仕側も考えて、迅速な動きが必要とされ、メールという手段の重要性を感じました。私も新潟入りしてから、自分のホームページ(現在は教会のホームページにもUP)に随時、被災地の写真を掲載してご縁ある方々にメールで情報を発信してきました。支援のメールを多数頂き、金光様がお祈りお働きくだされていることを実感しつつの奉仕でもありました。

 今後も災害は必ず起こることでしょう。ボランティア活動に限ったことではなく、社会と自分はどのように関わっていくのか。普段の祈りを実践にどう現していくのか、また自分がどのようなところで、どうお役に立てるかを求め、意識していく私たちでありたいと思います。また、非常時に若い力や専門職の働き、全教の祈りを集結できるようなネットワーク作りは至急の問題だと思います。

 最後に、難儀の中に自分を置くことで、見えてくるものがあります。皆さんもおかげ頂いてもらいたいと思います。親先生をはじめ、燕教会の原野先生、メールを受け取られました方々には、無事に奉仕出来ましたこと、この場を借りて厚く御礼申し上げます。またご心配もお掛けいたしました。ありがとうございました。