最初のニュースを見た時、「これは、大変なことが起こっている。何か出来ることはないだろうか、一日でも力になってあげたい。しかし、大阪からは遠いし、時間もない……無理かな」と私の神心と人間心が行き来しておりました。日が経つにつれて、被害後の片付け作業のすごさが放映、ボランティアの数が足りないと報道されるなど、ますます、自分のやるせなさで一杯でした。
そのような中、教会での定時の御祈念の時に、「初代先生は新潟の地に生を受けられ……」という初代押木領七先生の霊前拝詞の言葉に、初代先生の生まれたお土地……、すぐ身近にこの災害は起こっているじゃないかという思いになりました。居ても立ってもいられない気持ちと、自分は金光教教師で、「祈るのが本分だろ……」という狭間の中で、教会長先生のお取次を頂くと「一刻でも早く行きなさい。こちらのことは何とかなるから」とのお言葉を頂きスーッと腹が決まりました。現地へは電車も考えられますが、車の機動力を生かしたいと思い、早速、兄である四條畷教会の車をお借りして、準備を調えていきました。一人で運転して大丈夫かなという思いもありましたが、いつも金光〜大阪間を走っている、その倍ぐらいの距離ですので、往復ぐらいと思い、行けると確信しました。
青年教師へもメーリングリスト(メールでの繋がっているグループ)で連絡、「もし、行ける人があれば」と声を掛けましたが、急な連絡とあって、私一人だけでしたが、大阪から、東京から、九州から「せめて奉仕成就を御祈念させて頂きます」というメールが相次ぎ届き、皆が祈りを加えてくれていると思いました。また、出発時、信者さんからも「私もガラス拭きでもさせて頂きたいです」と居てもたってもおられないこの気持ちを話され、今回の災害を大変なことと受け止めさせて頂いたのは、私だけではないのだとも思わせて頂き、祈りを受けて代表で奉仕させて頂こうと、心強く出発させて頂きました。
現地の燕教会の原野先生がこの知らせを受けて、燕教会を基点に奉仕させて頂きました。当初は、車で宿泊するつもりで布団を積み込み、準備をしていましたが、思ってもいないご厚意を受けて、「神様は、見守っておられるなあ」とも実感させて頂きました。ありがたいことでした。
教会に着き、現地の状況、現地の新聞、報道など見させて頂くと、大阪では伝わっていない事ばかりで、ビックリしました。地方になると情報が入って来ないのだなと思いました。この度の水害で、新潟県内の教会は、何処も被害は出ていないということで、少し安心しましたが、信者さんのお宅では、二、三被害を受けられたということをお聞きしました。信者さん宅のお手伝いをと思いましたが、そこでは、すでに復旧されていましたので、三条市のボランティアセンターでの奉仕をさせて頂くことになりました。
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