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■■■ 扇町教会メールマガジン 〜2006.12.24〜 ■■■
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No:68
『有り難い、有り難い』
 
 
  扇町教会では上半期の末、六月と年末に『大祓式』を仕えています。大祓式では『人形(ひながた)』に、それぞれが氏名・干支を書き、自分に替えて、神様へお礼・お詫びをさせて頂きます。
 この大祓式が単なる儀式に終わることのないよう、信者の皆さんが半年間、どのような問題を抱え、どのように御取次を頂いたか、どのように『導きのことば』を頂いたかを、『信心カルテ』として、親展にてご本人に配布しています。
 わずか半年間のことですが、『もし、あの問題が……』『もし、あの時……』と、何方でも一つや二つあります。青くなって御取次を頂いておられます。それらの問題は現在進行中の方もいますが、ほとんど、『良い巡り合わせ』のおかげを頂いておられます。
 お一人お一人の半年間のことを、神様の『お届け・御祈念帳』を繰らせて頂くと、本当に、あの人もこの人も『有り難い・有り難い』ことばかりです。
 人間というものは『喉元過ぎれば熱さ忘れる』の諺の通り、記憶が薄れ、おかげを受け助けられたことも忘れてしまうものです。それどころか、グチや不足が日々の生活を支配してしまいやすいものです。
 ある方が、「お腹が痛くなった時は、すぐに、『金光様!』とお願いが出来る。ところが腹立ちやグチ心の時は、金光様が出てこない。そんな時ほど、心の状態が悪くなっているのだから、金光様にお出まし頂かねば」と言っておられましたが、いくら、おかげを頂いても、よほどそのことを意識しなければ、腹立ちやグチ心の方が強いようです。
                                                      ○
 世の中で一番油断がならないのが『時』です。『もう、半年が過ぎました、早いものですね』と挨拶をしますが、『時』は命の時間そのものです。よほど意識をしなければ、『時』は流れ、腹立ちやグチで人生を終えてしまいます。
 そのようなところから、今年も半年が過ぎようとしています。今年の『信心のモットウ』が、  神様に、朝起きたらその日の事をお願いし、寝る前に一日のお礼を申そう。「神様、金光様ありがとうございます。」

 信心させて頂く人なら、当たり前のことのように思われる『モットウ』ですが、流れてしまう『時』を大切にさせて頂くのは、これしかないのではないでしょうか。
                                                       ○
 この秋に、初代教会長押木領七大人七十年祭 ・ 二代教会長押木弘一大人三十年祭
二年後に迎える
扇町教会 開教百年

を節として、今までおかげを受けてきたことを、改めて整理をさせて頂き、これから後のおかげの元にさせて頂きたいものです。
 今年の上半期の『信心カルテ』を読まれて、神様のお働きの偉大さ、おかげの『恵み』を振り返って下さい。
 教会では式年祭、記念祭に向けてお広前等の改装をしていますが、一人一人の信者さん達がおかげを受けてきたことへの、『せめてものお礼』を、神様へ現したい、きれいにさせて頂きたいとの願いで取り組ませて頂いています。

 
 
                                                     【平成19年7月号「光道」巻頭言NO.396】
No:67
『やっぱり捨てることはできません』

 五月二十日、Nさんの一年祭がKさん宅でKさんの家族、親類の人々で厳かに、真心込めてお仕になられました。二十一日にKさんがお礼参拝に来られて、 「一年が経ちますが、母の荷物、ガラクタと思われる物でも、捨てることができません……」申されていました。

                                                       ○

 「先生、母には困ったものです。先日も喧嘩です。使われなくなった物々、物々、捨てないのです。家の中がガラクタで一杯です。子供も大きくなってきて、子供も道具も増えてくるし……。粗大ゴミの日に使えない物を出したら、また、戻すのです。
 母は戦争を経験していて、物に不自由したのは分かりますが、あまりにひどいです。母は先生の言うことしか聞きません。先生から、要らない物は整理するように言って下さい。このままだと、ゴミ屋敷になってしまいます……

 Kさんの悲痛な訴えです。毎月宅祭をさせて頂き、家の状況はよく分かります。Kさんの言うのも無理はありません。一言、Nさんに言うてあげねばと思い、申し上げました。

 「物を大切にするということは、信心の上でも大切なことです。特に、戦争を経験している人にとっては、物に不自由した経験は、身に染み込んでいることでしょう。しかし、スペースも大切にしなければ生活が出来ません。物を整理されてはどうですか。若い人が困っていますよ」

 「確かに、戦争を経験して物に不自由した経験は身に染み込んでいますが、それだけではないのです。あの物は、私が買った物はほとんど無いのです。私は物を買いません。主人の物や兄がくれた物、各教会の記念品として頂いた物、友人がくれた物、孫が誕生日にプレゼントしてくれた物等です。 その物をくれた人の真心を大切にせずにはおれないのです。捨てると、真心を捨てるような思いになるのです……」

 「そうですか……、真心ですね……。しかし、人に寿命があるように、物にも寿命があります。使えなくなった物には、お礼を申して、お葬式を出させて頂きましょう……」

                                                       ○

 それからも毎月宅祭に行かせて頂きましたが、物は増えることはなかっても、減りはしていませんでした。Kさんは諦めたのか、もうそのことは言わないようになりました。

 そして、一年を経て、「一年が経ちますが、母の荷物、ガラクタと思われる物で、捨てることができません……」申されていました。
 Kさんもお母さんの『命の真』を見つめておられるのでしょう。やがて、Kさんの子供さん達が「先生、母には困ったものです。先日も喧嘩です。使われなくなった物々、物々、捨てないのです。家の中がガラクタで一杯です……」と訴えに来るかも知れませんね……。

 

                                                       【平成19年6月号「光道」巻頭言NO.395】
No:66
『真心の人達』

 今年の秋には『初代教会長押木領七大人七十年・二代教会長押木弘一大人三十年』の式年祭をお仕えします
近年、二代教会長押木弘一先生に導かれ助けられた信奉者の方々や、高齢の信奉者方々が、次々とご帰幽になられました。いずれの方も、そのご一生は真剣な信心と真心込めた御用をなされていました。
                                                        ○

*O・Hさん 平成四年十月十日 帰幽 八十三才
姑のO・Iさんが熱心な信奉者でした。Iさんが亡くなられて、信心の継承をされた方です。
 Iさんが「私は、家族の者に信心を勧めることができません。しかし、家族の者が信心してくれるように、毎日御祈念をさせて頂いています」と語っておられ、その御祈念が届き信心の継承がなされました。
 この方はもの静かで、控え目な方でしたが、じっくりと教えを頂き、その人生に教えを現そうとした人でした。教会の中ではも神饌御用をされ、目立たず御用が出来られました。

*N・Kさん  平成四年十二月四日 帰幽 六十九才
 初めは『妻に引かれて 教会参り』と言っておられましたが、奥さんのMさんと朝の日参を続けられるにしたがい、深くお道の信心を求めるようになられ、信徒総代として、細やかな心配りで教会の御用に立たれました。
 次女のTさんには、扇町教会で修行の後、金光教学院を卒業後金光教教師にお取り立てを頂かれ、現在は静岡県の教会で御用されています。
 ちなみに、K・Tさんは長女で、子供さん達も信心をされています

*M・Tさん  平成六年二月二十八日 帰幽 九十六才
この方は昭和二十八年頃、扇町教会が戦後復興をして間もない頃に入信された方でした。 縫製の専門が使う動力ミシンの販売をされていました。
 入信の動機は分かりませんが、謙虚な生き方の人でした。月例祭は欠かさず参拝され、いつもニコニコとされていたおばあさんでした。
 腰が『くの字』に曲がっておられましたが、ご本部のご大祭には参拝されていました。物静かで、何が大切か、どのような御用が出来るかを見つめて、実行される人でした。
 ご大祭のお魚のお供えをしておられました。 

*F・Mさん  平成七年四月三十日  帰幽  八十三才
 F・Kさんの奥さんで、常に物静かに、人の立ちゆきを願われました。ご主人の事業成功に影の内助を尽くされました。
 その信心ぶりは目立ちませんが、例えば、教会のお広前で自由に頂くお茶、その茶筒にお茶葉が少なくなると、次には、補充しておられました。
 六十才の折り、脳梗塞で倒れ半身不随を患はれましたが、見事に復活、後遺症はなく、信念の強い信心をされていました。
 月例祭の神饌御用に欠かさずお役に立たれました。
 ご帰幽になられたのは、扇町教会のご大祭の当日、ご主人と参拝され、お友達の信奉者の方と楽しく語られた後、ご自宅でご帰幽になられました。
 一本の注射も打たない、大往生でした。

*A・Mさん 平成七年八月三十日 帰幽 八十七才
 この方も静かな信心をされていました。
芯が強く、若くご主人と死別されてからのご苦労は大変なことで、真剣な信心は、お役に立つことに命をかけられました。年齢が加わってからの神饌御用、月例祭の祭員の御用は命がけでした。
 年金の中から、自分に使うことなく、そのほとんどを神様の御用にとお供えをされました。息子さんが、京都の相楽郡の方へ移られ、そちらで生活されるようになってからは、なかなか参拝出来ず、残念な思いをされていました。

*K・Nさん 平成九年九月二日 帰幽  八十一才
 この方も静かな信心をされていました。
弱い体でしたが、教会参拝を続けられました。特に、真夏の参拝には、倒れるのではないかと思うほどでした。
 参拝されると、トイレのお掃除の御用を黙々とされていました。

*N・Fさん 平成八年四月二十六日 帰幽 八十八才
 この人は数奇な人生を送った人です。それは、あまりにもイバラの道であり、信心なければ、神様なければ生きてゆけない人生でした。
 終戦後、扇町教会がバラック普請の復興をしたころ、扇町教会にご縁を頂きました。
 それそはそれは、借金に苦しみ、親子の関係に苦しみ、男女の関係に苦しみ、何重苦も苦労の中でした。
 二代教会長押木弘一先生、夫人押木冨美恵先生の導きと愛情に包まれ、苦難の中も生きる力を振り絞り、生き抜きました。ですから、その信心振りは激しいものでした。親先生のお装束を借金してでも揃える信心です。自分を投げ出しての信心でした。

*O・Mさん 平成十年九月二十六日 帰幽  九十一才
 この人は、金光教の扇町教会の教徒の家に嫁いできた人でした。
 神仏に手を合わせる素直な信仰心はありますが、家の宗教ということで、檀家的な感覚で教会にきていました。
 戦後も舅、姑が亡くなっても、先祖祀りをし、毎月の宅祭(お寺さんが拝みにくる)を続けておられました。現教会長が、全信奉者の参加する教会の態勢をとることにより、教会への出入りが多くなることにより、教えに触れるようになられます。
 それからは、教えを求めるようになり、檀家からの脱却ができ、自覚的信心をするようになられました。すると、真剣に神様を求め、信心になり、終世神饌御用をされました。

*F・Kさん 平成十五年十二月二十六日 帰幽  九十五才
 お母さんの信心を受け継ぎ、その願い『F家の復興』を実現すべく、若い頃より建築金物の会社を興し、必死に働き、戦中は軍隊として大陸へ派遣、終戦後はシベリヤへ抑留されます。やっとのことで帰国すると、会社は焼失していました。
 また、裸一貫で今のダイケンを復興させました。まさに、研究熱心と努力と根性の人でした。努力に努力は大切なこととして、その努力が実を結び、それが継続し、皆が幸せになるには、神様からの『良い巡り合わせ』を頂かなければ、人間の力には及ばないことであることを知っておられました。『生かされて』他、多くの著書を残されました。
 その大きな神様に真を尽くし、御用にお使い頂く喜びを知っておられました。
昭和三十八年(一九六三)、当時の全資産を使って扇町教会の戦時復興の建築の御用に当たられました。
 また、金光教信徒会連合本部委員長などこの道の要職を歴任されました。
扇町教会での出来事。扇町教会の信徒会の会計係(とっくに会長は退いておられました。)をお願いすると、快く引き受けて下さり、その会計の御用に全力を打ち込んで下さいました。御用に軽重はないことを信心の本分とされていました。
 高齢になられ、各役職を退かれてからは、教会の月例祭には欠かさず参拝、ご本部月参拝も欠かされませんでした。
 そのご葬儀には、教内はむろんのこと、各界から多くの会葬『しのぶ会』に参加されました。

*H・Sさん 平成十六年三月四日 帰幽  八十一才
ご両親が熱心な信奉者でした。ご本人は軍隊で大陸へ派遣されましたが、無事に帰還されました。しかし、帰国した大阪は焼け野原、必死に働かれました。
 扇町教会の教徒の家のために、ご両親が亡くなってからの教会とのご縁です。檀家的な感覚で春秋の霊祭に参拝しておられました。
 全信奉者の参加する教会の態勢となり、祭典の御用を受け持つようになられると、教会への出入りが多くなることにより、教えに触れようになりました。
 それからは、教えを求めるようになり、檀家からの脱却ができ、自覚的信心をするようになられました。ご両親譲りの真の信心が芽生え、教会の布教活動、出版活動の御用を一手になされました。
 二十五年にも及ぶ朝参拝は欠けることなく、参拝されるのが嬉しくて仕方がないとうようでした。扇町教会の最初の輔教に任命されました。また、息子さんも輔教の御用に立っておられます。
 お亡くなりになる前日まで朝参拝が出来、亡くなられるその日、何の傷みも苦痛もなく、一本の注射も打つことなく、大往生をされました。

*K・Yさん 平成十四年六月二十八日 帰幽  八十三才
 この人は二代教会長押木弘一先生の長男として生まれましたが、成人する頃には戦争の最中で、すぐに軍隊へゆき、南方の島々を転々としました。
 無事に帰国できましたが、扇町教会も戦災に遭い消滅していました。Yさまは教員の職業につきました。
 教会が復興しましたが、あまり教会へは近づきませんでしたが、昭和五十三年(一九八七)二代教会長押木弘一先生が帰幽される少し前から教会へ参拝するようになられました。
 お父さんにお詫びの心もあり、それからは一生懸命に信心を求められました。
そして、若い頃より身につけた音楽の道で教会のお役に立とうと、扇町教会の青少年部に吹奏楽部を結成し、その楽器の全てを調え、指導に当たりました。命がけの指導は、信心の修行そのものでした。

*H・Kさん 平成十七年六月二十七日 帰幽  八十一才
 この方は三代目の信心ですが、若い頃にはほとんど参拝はされませんでした。
 生まれながらに虚弱体質で、自律神経も患い、乗り物には乗ることが出来ませんでした。さらに、極度の弱視でした。
 そのような体でありながら銀行に勤務され、お母さんを養ってゆかれました。
銀行を定年退職された頃より教会へ参拝されるようなりましたが、お道の信心のことはほとんど知りませんでした。
 その頃、扇町教会ではN・Tさん(現金光教教師)が学生ながら、教会で御用をされていました。H・Kさんは、若いN・Tさんが教会で御用をされるのが不思議でした。いろいろとお話しをしているうちに、人間として大切な生き方をN
・Tさんから教えられました。
 それからは、弱い体ながら日参をし、出来るかぎりの御用をされ、財の上でもお役に立たれました。お母さんの老後の介護も無事に成されました。

*N・Mさん 平成十八年五月二十日 帰幽  八十五才
 この方はN・Tさんの奥さんで、F・Kさんの妹さんです。
 若い頃、二代教会長押木弘一先生の導きを受け『親先生』と慕い続け、朝の日参の後、先生を離さないほどに先生のお話しを聞いた人です。
 その性質は『真一心』で妥協や不純のないものでした。人の難儀を見ては、その人の立ちゆきを一生懸命に御祈念されました。
 神様のお役に立つことを『命の証』として生き抜き、今、自分に与えられている御用は何かを厳しくとらえ、取り組まれました。
 ご主人が脳腫瘍で入院、次第に癌が広がり、ものごとの判別が出来なくなっても、この人は教会の朝の御祈念の後、病気へつききり、もの言わぬご主人に語り
かけ、見えているかどうか分からないご主人に写真を見せ、その当時のこと、関わりあった人のことを物語りしていました。
 ご主人がお隠れの後、「さびしいでしょう」と問うと、「いいえ、充分に語り合いました。病気をしてくれたおかげで、夫婦の絆が強くなりました」と答えられたのが印象的です。
 亡くなられる前日、教会長夫妻が見舞い、手を握り合い、にっこりと微笑み、次の早朝、霊となって朝参拝をされました。
 自分のことには一切お金は使わず、特別の献金はもとより、自宅の毎日三度の御祈念には、『お賽銭』を供え、それを貯めて、特別の献金とは別のお供えに貯めておられました。
 亡くなられる前、看護にきた長女のK・Tさんに「私が亡くなったら、すぐに、私に代ってお供えをしてくるように」との厳命でした。

*M・Mさん 平成十九年二月二十五日 帰幽  八十八才
 この方も、O・Mさんと同じように、金光教の扇町教会の教徒の家に嫁いできた人でした。
 神仏に手を合わせる素直な信仰心はありますが、家の宗教ということで、檀家的な感覚で教会にきていました。舅、姑が亡くなっても、先祖祀りをしておられました。
  全信奉者の参加する教会の態勢をとることにより、教会への出入りが多くなることにより、教えに触れるようになられます。
 それからは、教えを求めるようになり、檀家からの脱却ができ、自覚的信心をするようになられました。すると、真剣に神様を求め、信心になり、終世神饌御用をされました。
目立たない、静かな人でしたが、特に、細やかな心配りをされ、教会の子供達に、ちょっとしたお菓子を持って参拝されていました。
 三年前のご本部年賀参拝のおり、大変な大きなおかげも頂かれました。
 亡くなられる当日、看護をしている娘さんに、「私に代って、教会へお礼参拝してきて」と頼みました。この日の夜に亡くなりました。最後のけじめをつけられました。

                                                      ○

 このように、素晴らしい信心をされました。いずれの人も、そのご晩年は、ご家族に大切に大切にされてのご帰幽でした。
 信心の真を手本とさせて頂きたいものです。


                                                        【平成19年5月号「光道」巻頭言NO.394】
No:65
『神様に願う私はどうするの……』

 久しぶりに参拝した、信心では三代目の若いAさん、神前で形式通り柏手を打って頭を下げてからお結界へ来て、これまた形式通り『奉』差し出し、 「親が教会へお届けしといで、と言うので来ました。○○が痛くて病院へかかっていま すねん。よろしくお願いします……」

                                       ○

 代を重ねての信心は有り難いですね。親先祖が『信心の徳』『神徳人徳』の貯金を残してくれていますから、少々の問題では大騒動になりません。『神徳人徳』の貯金の無い人は、『まさか!』ということになります。
私が子供の頃に、戦後の食糧難でまともに食事が出来なかったこと、衣類もほとんど無かったことを、今の豊かな生活をしている人に、いくら言っても、ピンともシャンともこないのと同じで、
 「Aさん、貴方のおじいさんは、大変な病気で命のないところを、必死に信心して、神様に助けられたんですよ。そのことが有り難く、子孫に『神徳人徳』を残そうと、教会に参拝して、いろいろと御用に立ったんですよ。そのおかげで、貴方の家族は平穏に生活出来ているんですよ」
 「……はあ、そうですね……。よく聞かされています。さてというたら、教会へ参拝し て『お届け』をしたら助けてくれはると、小さい頃から教えてもらっています。……」

Aさんは親に言われたとおり、困った時、病気になった時には教会へ参拝して、『お届け』をします。それで信心をしていると思っています。

                                       ○

 Bさんは、人生の大変に重たい家族の事柄の悩みで、一年前に初めて教会へ参拝しました。神様への拝礼の仕方も、教えも、もちろん『御取次・お届け』も知りません。

 「先生、この神様さんは助けてくれはりますか?」
 「この神様は天地を自由にされている、とてつもない大きなお力を持たれた神様です。この神様は、『きれいごと』の神様ではありません、ドロドロとした人間の難儀を救って下さる神様です。ですから、どのような問題も願えばいいのです。」
「それでは、信心するって、どのようにすればいいのですか?」
「信心とは、貴方が神様とが関係を持つことです。貴方の関係の持ち方によって『おかげ』が現れます。
「どのように関係を持ったらいいのですか?」
「神様へは人間同士の関係のように、要領やごまかしは通用しません。『真心』のみが通用します。
「『真心』ってどうすることですか?」
「貴方にとって、神様へ出来る出来る限り『誠意』を見せることです。」

 Bさんは自分の出来る『真心』『誠意』を考えました。それは朝参拝であり、わずかな時間があれば教会のガラスを拭き、お小遣いをやりくりをしての『奉』でした。この『奉』は形式的なものではありません。一年もしない間に、問題の解決のおかげを頂きました。

「先生、不思議ですね。本当に助けて頂きました。そればかりか、日々の仕事や生活の上で『良い巡り合わせ』を頂くようになりました。」

 Bさんは、ますます神様へ 『真心』『誠意』を向ける信心となり、神様と共にあることが嬉しくて仕方がないようです。

                                      ○

 Aさんのように代を重ねている人は、Bさんのような信心をしなくても、先祖の『神徳人徳』の貯金があるので、問題は助かりますが、Bさんのように、神様を実感し、有り難いことを実感することはありませんね。そればかりか、やがて、『神徳人徳』の貯金が底をつき、大変なことになります。 Aさんの親は『神様へお願いすること』『お届けをすれば、助けて下さること』は教えていますが、『信心になること、神様との関係の持ち方』『本当の安心の信心』は伝えていません。

 今年は初代教会長押木領七大人先生の七十年のお年柄です。夫人のマス先生は教祖様より、『氏子、人にものを頼むな。此方の道は唐傘一本で開くことが出来る。氏子信心しておかげを受けよ』
 『ただいま、神様はあのように仰せになったが、人の心は移り変わりやすいものである。その、人を頼りにするから、腹を立てたり物事を苦にしたりすることになる。人に向かう心を神様に向けよ。神様は、氏子の願いは何でも聞き届けてくださる。此方が傘一本と言うことは、真一心になりきることである』と教えて頂かれました。

『真一心』とは、神様に『真心』『誠意』を向ける信心のことです。『おかげ』とは信心の影によるものです。

No:64
『徳育(とくいく)ってなあに?』

 扇町教会では毎月の十六日の生神金光大神様の月例祭のあと、『教典抄』の勉強をしています。 二月十六日は、=『教典抄』第四章『信心の実践』 第三節『信心の生活』 
7『徳育』=を勉強させて頂きました。
 扇町教会はご承知のように、月例祭は昼の部と夜の部の二部制になっており、参拝者は昼の部ではだいたいお年寄りが多く、夜の部では若い人が多いようです。


                                         ○
【昼の部】

Q 『徳育っなあに?』
*四十代〜五十代初め
・……
*六十代以上
・『二宮金次郎』を思い出します。
*四十代〜五十代初め
・そう言えば、小学校の校庭の隅の方にあった。柴を担いで、本を読んでいた。

Q 『二宮金次郎』って、何をした人?
*六十代以上
・『二宮金次郎』の歌を思い出し、小学校で習ったのを口ずさむ。

1 柴刈り縄ない草鞋をつくり
    親の手を助(す)け弟(おとと)を世話し
    兄弟仲よく孝行つくす
    手本は二宮金次郎

  2 骨身を惜まず仕事をはげみ
    夜なべ済まして手習読書
    せわしい中にも撓(たゆ)まず学ぶ
    手本は二宮金次郎

  3 家業大事に費(ついえ)をはぶき
    少しの物をも粗末にせずに
    遂には身を立て人をもすくう
    手本は二宮金次郎


【人物】
 江戸後期の実践的農政家「二宮尊徳(幼名:金次郎/生没1787-1856)」は、父を14歳で母を16歳で亡くし、伯父の家で苦しい農耕をしながら「論語」「大学」「中庸」等を独自に学び、青年期に家を再興。後に小田原藩士服部家の再建や藩領下野桜町などの荒廃の復旧に成功し、この経験を元に独特の農法・農村改良策(報徳仕法)によって小田原・烏山・下館・相馬藩等の凡そ600村を復興。農村の生産力に応じた分度を定め勤倹を説き、その結果としての富を推譲(譲り合う)という社会的行為に導く報徳思想を広め、尊徳没後も多くの優れた門人によって、幕末から明治前期にかけて各地に報徳社運動を進め、農村の振興に貢献。明治10年代には政府よって注目され、門人の手による「報徳記(富田高慶)」「二宮翁夜話(福住正兄)」は相次いで天覧に供され、尊徳が政治体制を変化させずに農民の勤勉と倹約によって荒廃した農村を立て直した人物として理解され1889(明治22)年に従四位を追贈されました。

Q すると、『徳育』の内容はどんなものですか?
今の日本人が社会が失ったもの、無い考えを探せば分かります。
*六十代以上
・勤勉実直 ・質素倹約 ・清貧 ・貞節 ・謙虚 ・親孝行 ・報恩奉仕 ・兄弟同胞相和す。 ・愛郷、愛国 ・公私の区別 ・滅私奉公 ・上下のけじめ。
上を敬い、下を慈しむ。

*四十代〜五十代初め
・そう言えば、私たちの親には、このような考えがあったように思います。


【夜の部】

Q 『徳育っなあに?』
*全員三十五才以下
・それはなんのこと? そんなことばがあるの?

Q 昼の部のお年寄りが『徳育』の内容はどのように思う。
・各項目の内容を説明すると、爛々と目が輝き、素晴らしい生き方だと感心する。

                                      ○

 このことは、金光教の信心の問題ではないのです。六十年前の日本人が小学校で、家庭で、地域社会で教えられ、身につけていた思想です。今の日本人が失った考え方です。
多くの日本人が分からなくなった言葉ですから、一応説明をしておきましょう。(辞書にのせられている。)

・勤勉実直……仕事や勉強などに、一生懸命に励むこと。誠実でかげひなたのないこと。
・質素倹約……つつましくて倹約なこと。(若い人達も『倹約』は分かる。しかし、徳育の意味する『倹約』は単に、金銭をしまつし、預金するというだけではなく、家や社会、国が非常事態になったときに、その蓄えた財や穀物が役に立てるための倹約である。)
・清貧……私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること
・貞節……A女性が夫以外の男性に身や心を許さないこと
・謙虚……控え目で、つつましいこと
・親孝行……親を大切にし、真心をもってよく尽くすこと。
・報恩奉仕……恩にむくいること。利害を離れて国家や社会などのために尽くすこと。
・兄弟同胞相和す。……兄弟や同じ国土に生まれた人々、同じ国民。また、同じ民族が仲良く、共に働きあって、家を立派にし、良い社会や国家を築くこと。
・愛郷、愛国……生まれ育った郷土、国を愛し、そのために尽くす
・公私の区別……社会や国家、仕事に私情を挟まず、それらのために働く。
・滅私奉公……私心を捨てて公のために尽くすこと
・上下のけじめ。上を敬い、下を慈しむ。……目上の人には『礼』をもつて接し、目下の人に『徳』をもって接する。

No:63
『梅は咲いたか 桜はまだか
       時節がくれば咲きまする。』


 この月の教会の玄関外、信奉者の玄関外の掲示板の言葉にしました。  梅が咲き、桜の咲く頃に、愛しい人が帰ってくると、一緒になれると想い、寒 い寒い冬の日を耐えて耐えて、春のくるのを待ちこがれている村の娘さんがいま した。二月に入り、重く垂れた雪雲も少し薄くなり、『三寒四温』にはまだほど 遠いですが、日差しが柔らかくなってきました。娘さんは、耐えに耐えた心がは じけそうになりました。いても立ってもいられぬ気持ちになったのです。
 何を思ったのか、この娘さん、お祖父さんが大切にしている梅の盆栽の前に行 きました。梅の枝は未だ蕾が堅く、娘さんは、この梅が春を閉ざしているように 思えたのです。
 「梅さん、あなたが咲いてくれないから春が来ないのです」と、持ってきた熱 湯を梅の盆栽にかけ、「早く咲いて下さい」と頼みました……。
                                           ○  

人間は、あれが欲しい、このようになりたい、ああなればいいのに、こうなれ ばいいのにと、願いを持つ生き物です。それでいいのです。願いや望みの無い人 は生きているとはいえません。願いがあるから、生きていられるともいえるでし ょう。大いに願いや望みを持って下さい。
 絵に描いた願いや望みは夢や空想と言います。夢や空想ではつまらないことで す。宝くじの1億円があたればいいなーと、券を買って、1億円が当たった夢を 見て、「さあ、何に使おう」と夢を見るのは、願いや望みとは違います。やはり 、 実現したい、実現をしようと動くのが、願いや望みでしょう。
 さて、この村の娘さんのことを笑えるでしょうか。『一緒になれると想い、寒 い寒い冬の日を耐えて耐えて、春のくるのを待ちこがれ』て努力をしています。 もう少し待てば、本当の春が来るのに、待ちきれなかったのか、いや、梅が春を 呼ぶと錯覚したのか、大変なことをしでかしました。
 願いや望みを神様へお願いするのも同じことですね。願いや望みが成就したい 、 神様のお力を頂きたいと、一生懸命に参拝します。欲と二人連れです。それでい いのです。神様は人間の願いは必ず聞き届けて下さいます。
 しかし、願うその人にとって、本当に良いことになるよう、神様が時節を待た れます。親が子供の成長を願い、成長に応じた願いや望みをかなえてやろうと思 うのと同じです。親が時節を待っているのです。
 それにしても、現代人は『時節を待つ辛抱』が出来ない人間になっているよう です。熱湯を梅の盆栽にかけ、「早く咲いて下さい」と言っている人が多いです ね……。

 『梅は咲いたか 桜はまだか 時節がくれば咲きまする。』

No:62
平成十八年 信心のモットウ
『人心を出すな人心は人心だけ、
神心を出せば神心だけのおかげはある。』

『神心 人心』 ( 11 )
『本気で取り組んでみると……』


 今年も十二月を迎えました。『神心 人心』のシリーズも今回で納めさせて頂きます。十月二十九日は扇町教会の生神金光大神大祭を神様のご都合を頂き、信奉者の皆様と心を合わせて、『うれしく』『楽しく』『有り難く』お仕えさせて頂くことが出来ました。
 ご大祭をお仕するに当たっては、二日前、当日、後日と四日間にわたり、信奉者の方達の御用奉仕がなされます。四日間とも出来る人、遠方で当日だけの人と、それぞれの都合によって違いますが、真心の奉仕がなされます。
 後日(三十日)の御用奉仕が出来る方達は、前日の疲れをものともせず、無事にご奉仕が出来たことのお礼を申されます。また、遠方の方は電話やメールでお礼を申されます。そのような中に、メールでお届けされた三名の信奉者の方のお礼のメールを紹介いたします。

                                 ○

【A子さんより 】
 御大祭 ありがとうございました。
 当日、大阪へ行く電車で眠くて眠くて、駅に着いても歩けるのかというくらいしんどかったのです。このまま帰ろうか、と思いましたがまず歩けるところまで歩いてみようとボツボツ歩きました。ゆっくり、ゆっくりでした。教会に着いて先生から声をかけて頂いた時ホッとしました。それから、すごいですね。私の体にみるみるエネルギーが湧いて出て元気そのものでした。結局倒れる事もなく御用が出来てありがたかったです。でも不思議でした。
  昨日は 母が帰宅し (半身不随のお母さん。二十二日のケアーマネジャーを受験と、ご大祭のために、世話が出来ないので、妹さんの家で預かってもらっていた)バタバタしていましたが 私の誕生日を家族が祝ってくれ最高の誕生日になりました。
  母には「ケアマネ、落ちたらごめんね。」と話しました。M子さんも受験されてたんですね。二人で もし合格したら お祝いやな!と直会後に話して帰りました。みんないろいろありますね。今日も仕事です。無事に勤まりますよう、相談者の方に 適切な助言がさせて頂けますように お願いします。がんばります。先生も お疲れさまでした。これから 御大祭続きとのこと、体調を崩されませんように 微力ながら お祈りしております。ご自愛ください。

【B子さんより 】
 昨日は御大祭に参拝のおかげを頂きありがとうございました。
 昨日の朝方は、顎関節の痛みから頭痛があり、またか〜 と思いましたが、「道中に必ず治らせて下さい。御用をさせて下さい。」と、半ば強引なお願いをさせて頂き、参拝をさせて頂きました。
 今まで、何回と御大祭に参拝をさせて頂き、御用をさせて頂いておりましたが、この度の御大祭は始めて嬉しく楽しく有り難く感じられました。中でも嬉しくが大きく、御用の間、体調がすこぶる善く、次は何をさせて頂こうかと探している自分が嬉しかったのです。今までは、体調が悪くて御用が出来なかったら迷惑がかかるとか、分からない事は誰に聞けばいいのか…などと、思案する時がありましたが、この度におきましては、体調が悪ければ悪いと言えばいい、分からない事は分からないと聞けばいい…と、先々を考えず今をお願いさせて頂こうと思いました。有り難い御大祭に参拝のおかげを頂きありがとうございました。

【C子さんより=扇町教会にご縁を頂いて三カ月の青年信奉者】
 押木先生、 こんばんは、御大祭では大変お世話になりました。信者の皆さんであのような大きなものを造り上げていくのは大変素晴らしいことと思いました。また、先生のご家族や多くの信者さんとお話しする機会があって、私自身学ばせて頂くことが多かったです。
 人生は今が大事だと教えていただきましたが、最近その意味をより理解できた気がします。教会のように365日休む暇がないですね。
 私は大学に入っていつからかもっと内面からいい人間になりたいと強く思うようになり、色んな事に必死でした。でもそれも後で振り返ってみると自我の固まりだったように思えます。日々神様と一緒に歩むような気持ちでいると、一日の内に沢山の気付きを頂き、自分の頭で考えているようで、そうでない、もっと貴重な時間を過ごさせて頂いています。
 私も先生方のように、もう少し人様のお役に立てる人になりたい(これも新たな欲ですが)と思うのが今の気持ちです。
 長くなってしまいましたがごめんなさい。先生も大変お疲れと思いますがどうぞお体大切にして下さい。

                                   ○

 このようなメールでした。『生きた神を信心せよ、天も地も昔から死んだことなし』と教えておられます。生かされている自分、生かしておられる天地金乃神様。この関係に目覚めることこそ、『神心』であります。

                                                                                【平成18年12月号「光道」巻頭言No.389号より】
No:61
平成十八年 信心のモットウ
『人心を出すな人心は人心だけ、 神心を出せば神心だけのおかげはある。』

『神心 人心』 ( 10 )
『神の言うとおりにしてくれ……』

 多くの信者さん達はその人生の中で、病気や経済、家庭問題、事業や仕事の問 題、人間関係などで行き詰まり、教会へ参拝して、先生よりお導きを頂き、神様 から『おかげ』を頂かれて、よりいっそう、信心に精を出し、教会の御用にもお 使い頂いておられる人が多いと思います。  そういう信者さん達は、信心の体験発表をされると、苦しかった時のこと、お かげを頂きいて嬉しかったことを思い出して、涙を流されます。  

                                           ○

 ある教会で家族中が熱心に信心され、教会のことも何くれとなく御用されてい る信者さんがおられました。その信者さんの娘さんも熱心に信心し、教会の青年 会の活動の中心的な役割もされていました。  その教会では、年頃の若先生もおられ、この娘さんと相思の間柄になりました 。 親先生もこの二人の結婚をご神縁と喜ばれていました。熱心な信者である娘さん の父親に結婚の了承を受けることになりました。ところが……  『とんでもない。若先生はいい人ですが、教会へは娘はやれません。』 と、強烈に反対するのです。何故かとその理由を聞くと、  私たちが信心させて頂いているのは、生活や仕事が順調良くいけるよう、また 、 大難は小難に小難は無難にお祭り変えを頂くようにと願ってのことです。教会の 御用をさせて頂いているのも、そのお礼です。また、徳を頂いて、より良い生活 を送れるようにです。教会は有り難いことです。感謝はしています。  しかし、教会の生活を見させて頂くと、朝の早くから夜の遅くまで開いておら れ、休日も無く、信者が出入りし、プライバシーもほとんどなく、生活の経済も 豊ではありません。そのような苦労を娘にはさせたくありません。苦労しないよ うに信心させて頂いているのですから……。

                                             ○

 さて、神様からおかげを頂いておられる貴方に神様から、  『神の言うとおりにしてくれ……』 と、お頼みがあると、貴方はどうされます? 困ったことだ、いっそう信心をや めてしまおうか……  まあ、ご安心下さい。少々の信心では神様からそのようなお頼みはありません 。 よほど神様からご信頼を頂かねばお頼みはありません。  教祖様はこの神様のお頼みをお受けになられ、そのとおりにされました。もし 、 お断りをされていたらどうでしょう。  教祖様は小さな農村の名も無いお百姓でした。年貢米を納めることにその生涯 を費やしていたことでしょう。さらに、ご自身も書き残しておられるように、  『私養父親子、月ならびに病死いたし、私子三人、年忌年には死に。牛が七月 十六日より虫気、医師、鍼、服薬いたし、十八日死に。月日変わらず二年に牛死 に。医師にかけ治療いたし、神々願い、祈念祈念におろか(おろそか)もなし。 神仏願いてもかなわず、いたしかたなし。残念至極と始終思い暮らし。』  平凡で人の良い、誰でもがしている自分中心の生活の生き方。信仰もその中で のこと。その自分中心の生活、普通の生活、その結果が『神々願い、祈念祈念に おろか(おろそか)もなし。神仏願いてもかなわず……』、即ち無常の人生でし た。   教祖様はその生き方では助からないことを悟られました。もともと神様のお働 きにより生まれてきた自分。神様のお働きの中に生かされている自分であること 。 で、あるならば『神の言うとおりにしてくれ……』との思し召しを頂いて、神様 と共に生きることにより、より生き生きと、生き方を変えられました。

                                                 ○

 やがて神様は教祖様に
●『死んだと思うて欲を放して、』=人心を放して
●『天地金乃神を助けてくれ。』=神心となって
 と仰せになられ、教祖様は『神の言うとおりにしてくれ……』のとおりにお受 け取りになられました。  一人の名も無きお百姓が『生神』とまでなられ、多くの人を助けられたのです 。  『生神とは、ここに神が生まれるということで、此方がおかげの受けはじめで ある。みんなもそのとおりにおかげが受けられるぞ。』  だれでもが『神心』になれることを教えておられます。    

                                                                                【平成18年11月号「光道」巻頭言No.388号より】
No:60
平成十八年 信心のモットウ
『人心を出すな人心は人心だけ、神心を出せば神心だけのおかげはある。』

『神心 人心』 (9)
『風が見えれば、神様が見える』


 人によると「神様は目に見えないので、あるとは思わない」という。そんな人でも、結婚式は『大安』を選び、子や孫が生まれると『生命判断』を見て名付けるから、『人心(ひとごころ)』はまことにおかしいものである。毎日の日に良いし悪しを何の根拠でつけるのか。氏名の画数で人生の幸不幸が決まるなら、西洋人のアルファベットの横文字の画数は何画なの?いろいろともっともらしい理屈は言うが、『人心(ひとごころ)』とはそんな程度である。
                                      ○
 空気がなければ生きていけないことは、小学生でも知っている。プールで泳いで、息継ぎの苦しさは誰しも子供の頃に体験している。しかし、その一番大切な空気を肉眼で見た人はいない。手でつかんだ人もいない。それなのに、体験と観念とで空気のことを知っている。また、当たり前とも思わずに空気を吸って生きている。日頃はその存在さえも問題にしない。日常生活の中で、大切な空気を見ることが出来る。それは、直接には見ることはできないが、空気が動くと風となる。風自体は空気であるから見えないが、風は木々の枝を動かしたり物を吹き飛ばしたりする。風がおこす現象を見て、風を知ることが出来る。
神様も同じことで、神様自体を見ることは出来ないが、神様が働かれる現象を見て神様を知ることが出来る。
神様のお働きにおよそ二種類ある。

 ●大宇宙の中の無数の星々の中に、ただ一つ生命を宿す地球をお造りになった神様を見る。
 その大宇宙の生命の働きを受けての自分の生命、自分の生命を働かせている空気、大地、水、四季の働き等々、それはそれは大変な働きを受けての自分の生命。
 自分の一個の命に限っても、脳、神経、内臓、手足の動き等々、とてつもない大きな働きが我が身の中で働いている。
 この大宇宙の働き、自分の命の働きが、目に見える神様の偉大なお働きです。ですから、自分の生命が見えた時、神様が見えるといってもいいでしょう。これが見えると、神様に『恐れいってございます』の心が湧いてくることでしょう。

 ●個別に働いて下さる神様を見る 人生の難儀に出会い、神様にお縋りして助かる『おかげ』は、神様のお働きの現れです。
 神様のことや信心も何も分からない人でも、必死に神様へ願い、神様へ真心を向ければ助けて下さいます。
 願う人は、難儀な問題や願いが成就することが目的で、成就するとヤレヤレですが、実は、この時に『一生懸命に信心したから』と、自分の一生懸命のことが先に出てくると、せっかくの神様が見えなくなります。
 神様がおられ、神様が働いて下された結果が、『おかげ』として現れています。
 自分に個別に助けて下さる神様に『もったいない』との心が湧いてくると、安心の生き方になります。


                                【平成18年10月号「光道」巻頭言No.387号より】